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入院当日(記憶をたどって・・)

退院4日目。今日は暖かそうです。
退院してからずっと風がビュービューとすごくリハビリのための散歩が出来ませんでした。病院では毎日500m歩かされていたので、それぐらいは歩かないとなぁ。
腰痛で腰が痛いし、肋骨もまだ痛い。ちょっと動けば脈がバクバクしていて気になるし、もちろん夜は眠剤なしでは寝れないし。
そんなこんなでも回復してるのかな?

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2005-03-31 : 入院 : コメント : 0 :

入院前日(記憶をたどって・・)

本当は毎日記録をつけようと思っていたけれど、相変らずのめんどぐさがりやの性格ととてもじゃないけれど、思考能力が働けるような状態ではなく、結局入院日記はつけられませんでした。
それでも、これから手術を受ける人や、自分のためにも覚えている限りをちょっと残そうかなと思っています。
なにぶん、術後は記憶があいまいで合っているか自信はありませんが・・







3月1日。

夕方にT病院のM先生より電話をもらう。

3月10日手術が決定。8日より入院してくださいとのこと。

今回はN大学病院のU教授に特別のお願いして執刀をしてもらうため、この日を逃すと次がいつになるか分からないため、断ることなどもちろんできず。

即OKを出しました。

3月下旬に手術だと思っていたのでかなりあせって家族や友達・知人に報告。部屋の掃除をしたり荷物をまとめたりとにわかに忙しくなる毎日。



3月7日。

入院前日。

免許更新の葉書がきていた。なんでこんなときに!とりあえず術後に考えよう。

夕方6時ごろにM先生よりお電話。

U教授の都合で、手術日が3月9日に変更。遅くなることはあっても、早くなることは珍しいのでは?とにかくOKするしかないので、明日病院でということで電話を切る。

急いで、出かけていた母に電話。友達にメールしまくり。

その後、同じMarfanを持つ友達から電話があり1時間超いろんな話をする。友達は腹部大動脈の手術を5月に控えていて、二人で将来のこと、福祉のこと、患者会のこと、いろんな話をした。

どれもお互いの手術が成功して元気になるからこそ出来ることであり、がんばろうなんて話をしながら電話を切る。



遺書を書こうか最後まで迷う。

後ろ向きの意味ではなく、やはり「もしも」は誰にでもつきまとう。何かを残すべきかと考えたけれど、今の自分には言葉が浮かばなかった。

やっぱり私は自分は生き残れると思っているみたいだ。

だから言葉は浮かばない。

ただし、念のために自分の知人や友達などお世話になった人の名前や電話番号のリストだけは書いておいた。



念入りに掃除をして、念入りにお風呂に入る。

レンドルミン(眠剤)とパキシル(抗うつ剤)を飲み、いつものように眠った。
2005-03-30 : 入院 : コメント : 0 :

20日ぶりに退院

昨日、無事に退院しました。
3月8日に入院、9日の朝8時半より手術が始まり午後2時半頃終わったそうです。予定よりもちょっと時間がかかったって言っていたかな?なにぶん、私は深い眠りの底にいたのでもちろんよく分かりませんが。

手術は、上手くいって弁形成術が成功しました。手術前は不可能かもという可能性も含めながら話し合いがあったのですが、4度近くあった逆流もほぼなくなり、現在は不整脈もなし。
しかし、術後に極度の貧血になり、目が覚めてからすぐに輸血の可能性を示唆されました。自己血をためなかったため、輸血という選択にならざるを得なく、しかし輸血によるデメリットも多く、先生とも話し合いながら(意思疎通がそんなに出来る状態じゃなかったけれど・・)、もうちっとがんばろう!ってことで、なんとか輸血せずに乗り切りました。現在も貧血は続行中。でも、だいぶ落ち着いてきたみたいだけれど。

とにかく目が覚めたときには人工呼吸器の苦しさにさすがの私も暴れました。最初の記憶はとにかく暴れたこと。といっても、縛られるほどではなく、思い出したようにうぇーーー!!って気持ち悪くなって暴れての繰り返しで、そのうちに、先生から「息が出来るようになったら外してあげるから」というまさに、神のような声が聞こえてきて、苦しいし痛いけれど呼吸をちゃんとやれば外れるんだと死に物狂いで息をしました。
人工呼吸器が外れるとき、もうめっちゃ苦しかったけど。ぐぇーーーーー!!だよ。
たぶん、経験したことがある人ならあの苦しさは理解できるはず。

そんな感じの目覚めで始まった、私の入院生活はこれから少しずつ書いていきたいと思います。

とにかく、生きてます。
しかし、まだまだ苦しい。

術後3週間だとこんなもんらしいが、「おお、なんてカラダが楽なんだ。普通の人はこんなに楽なんだ!」と感じられると思っていた私には、術前と術後とちっとも変わらない(むしろ、ちょっとしんどい)のでなんだか拍子抜け。

起きて動いたらちょっと寝ての繰り返しの毎日です。
2005-03-29 : 入院 : コメント : 0 :

急遽あさって手術!

なんと、手術が急遽一日早まりました。
明日入院して、あさって手術です。

心の準備が!!などと言ってる余裕はないですが・・

どうせやるなら早いほうがいいけれどね。
一日伸びれば一日不安が多くなるだけだし。
開き直ってやってくるよ。

患者会の友達から電話をもらいました。
嬉しかったです。
お互いに手術が決まってしまったね。
お互いに生き抜いて、今日話したたくさんの野望を叶えようぜ!
2005-03-07 : 入院 : コメント : 0 :

手術まであと2日

とうとう明日は入院です。
明々後日にはもう手術です。

次に自分の家に帰ってくるときはすっかり春だね。
とりあえず部屋を綺麗にしました。
帰ってくるときはやっぱり綺麗なほうがいいからね。
布団も干しました。
でもやっぱり遺書は書くのはやめました。
なんとなく、やっぱり今はそんな気持ちになれないからです。
ちゃんと生きて帰ってくるつもりです。

一度、心臓を止めるということは、今度目が覚めた時は違う自分だね。
そうやって私は何度もこの先もずっと生きていくのかな?
もう考えるの疲れちゃったから考えないことにしよう。

生きるということは本当に大変なことだと思う。
時に、それは死ぬことよりもツライことがある。
でも逃げていいというのとは別である。
ただ、それはちゃんと前を向けるからいえることであって、人は時にとても脆く弱いものである。
だから、私は死にたいという人を責めることは出来ない。
死にたいという気持ちと、本当に死んでしまうというのは別であるから。
死にたいと思っても、死ねない。
それは、弱虫だからじゃなくて、最後の強さだと思う。

昨日、友達の子供が産まれました。
嬉しいよりもなんだか切ないね。
私は生きるために手術をし、友達は新しい命を産んでいく。
どんどん差がついていく感じで、本当に切ないよ。

ちょっと複雑な気持ちの手術3日前。
明日からは携帯でログインだ!
2005-03-07 : 入院 : コメント : 0 :

残り期限あと3日!!

あと入院まで3日しかないよー!
あれこれしたいと思いながらも、あんまり無理してここで体調を崩したら大変だしと思うとなかなか何もできないものである。
本当は部屋の整理をしたかったけれど、いざとなったらまぁいいかって気持ちになってきたし。もし何かあったとき・・と想像して友達は家族宛に手紙を書いたといっていたけれど、いざとなると意外と面倒(笑)
いまさら言葉でいうものでもないだろしと思ってそれもやめた。

友達や仲間にもずっと誰にも連絡していなかったので、手術が決まってからやっとメールができる気持ちになり、とにかくこのメールのやりとりで一日が終わっていっちゃいます。
みんな、いい言葉をくれるんだよね。
すごく胸にジンときたよ。
飾り立てる言葉じゃなくって、本当に素直にただ「待ってるよ!」っていってくれるだけだったりしても、その人の人柄を知っているだけにすごく嬉しかったりするし、私は末っ子気質なので、年上の人とかってすごく好きなんだよね。
みんな人生百戦錬磨って感じで、慰めて励まして時には厳しい言葉で怒ってくれて。最後には頑張ったねって、甘やかしてくれて…

ちょうど、昨日大学時代の友人から同窓会をやろうとメールがきて(行けないけれど)、大学時代は病気のことを言っていなかったので素直に打ち明けました。
同窓会メンバーにも言っていいよって話もしたんだけれど、決して病気を隠しているわけではなく、知った上でどう接してくれるかでその人とこの先ずっと付き合ってゆけるなってたぶん思えるんだと思います。
だから、私の選んだ友達はみんなすごくいい人&いいヤツラばっかりです。
私は自分では友達選びは上手だと思ってるのよ!

だから、みんなこの先も友達でいてね。
2005-03-04 : 入院 : コメント : 0 :

家族への重荷を思うとき

『子供たちは自分がモノを言うことは悪いことだと思っているのです。だからみんな黙っています。私も子供の時そう思っていました。』

「小児慢性疾患を考えるフォーラム」のという学会で、ある人が発言した言葉だそうです。私も先天性疾患の子供だった一人として心に残った言葉です。

親は「病気を持って生まれてしまった」事にたいして、子供に対して罪意識があるという話を時々聞きます。そして、それは同様に子供も実は一緒なのです。
自分が意図して病気になったわけではなくても、やはりどこかに申し訳ないという気持ちがあるのだと私は思います。

私が、手術となって考えたのは「家族への重荷」と「将来」のことでした。
周りがみな、自分の家や家庭を持ち、定年を終えた両親のために働き親孝行をしていくなかで自分だけ周りとどんどん引き離されていくのです。
この絶望感と悔しさ、苦しさ、空しさ。
自分の存在が、家族にとって重荷になることへの不安。
親が生きているうちはまだいいけれど、親が倒れたら、誰が私を病院に連れていってくれるの?お金はどうしたらいいの?
ずっとこの先も家族の世話にならないと生きていけないのはやっぱり一人の人間としてつらいです。
マルファンという病気は総合性疾患であり、ひとつの病原を治したからといってすべてが終わったわけではありません。
みな、複数の病気を抱えています。
いわば、終わりがない病気なのかもしれません。

私には、今回は自分の将来のことを考えてくれる姉達に救われました。
たぶん自分がもし一人っ子だったら、今でも絶望の淵にいたかもしれません。

私の姉が昔言っていたのですが、「親が死んだときに、一緒にアルバムをみながら懐かしいねっていろんな話が出来るのは兄弟姉妹しかいないんだよね」という言葉を思い出しました。

家族って大事だよね。
2005-03-01 : : コメント : 0 :
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はるみ

Author:はるみ
さまざまな病気を持った人間もそれぞれが自由に明るく、時にはいろいろな事に悩みながらも生きてることを『共有』したいと思っています。

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