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親の気持ち・子の生き方

先日、患者会(MNJ)の掲示板の中に「子供が自分よりお先に他界するのは一番辛い」という書き込みをみて、親の気持ちと子供の生き方についてを考えました。

私は3歳で僧帽弁閉鎖不全症と診断されました。
父は私と同じ心臓病で私が8歳の時に亡くなっています。
小学校から運動制限がありました。
いろんな事をたくさん諦めてきました。

たぶんどの病気も同じだと思うのですが、親がどこまで子供の活動を制限するかってすごく難しい問題です。
私もこの事で今まで数え切れないぐらい親とケンカを繰り返しました。
何度も反抗しました。

「死んだように生きたくない」
「それじゃあ、生きてるってだけじゃない!」
「お母さんはそれで安心かもしれないけれど、病気が悪化してでも私は私の生き方をしたい」

何度かそういう台詞を吐いた覚えがあります。

運動や、旅行、留学、就職。
ちょっとした普通の人は少しも障害にならないものでさえ、制限されていると本当に「生きている意味」を失いそうになります。

私は「死んでいるように生きたくない」のです。
私は誰かのために生きているのではなく自分のために生きたいのです。
親が悲しむからとか、助けてくれた医者や看護婦さんの恩よりも、病気で苦しんでいるたくさんの人のためにも生きなくちゃいけないんて、そんな事は私はやっぱり考えられない。
長生きなんて今まで一度だってしたいと私は思ったことはないです。
本当に一度も。
ただ、自分が納得した生き方をしたいのです。

スポーツはダメ。
それはわかってる。
でも、友達とテニスをしたりバスケで遊んだり旅行でちょっとした山に登ったりはいいの?ダメなの?
学校の水泳は諦めたけれど、友達と海に行ったりプールで遊んだりは?
みんなで遊園地に行ってもジェットコースターはダメなの?
海外で何かあったらいけないって、一生海外に行くなってこと?
毎日残業なんて無理だよって、自分だけしないわけにはいかないでしょ?

結局私は、親の反対を押し切って行動してしまった事が多かったのですが、父も同じ病気で失っている母にとっては、確かにすごく不安だと思います。
でも、私の気持ちを受け入れてくれた親にすごく感謝もしてます。


「親の気持ち」があるのと同様に、子供には子供なりに「子の生き方」があるのです。
二つを大事にしながら考えて欲しいと思います。
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2005-04-30 : : コメント : 0 :

息抜きに蒸しパン

今日は暑い!
よっとカラダがしんどい!!
なんだか今日はどっぷり疲れてる気がします。

疲れているけれど、本来の私の性格がだんだんと元に戻りつつあります。
天気がいいともったいなくてじっと出来ない。
急に甘いものが食べたくなったので蟲パン(←怖い)じゃなくて、蒸しパンを作ってみました。
使い終わった牛乳パックを再利用。
上部を切って、パウンドケーキの型になるようにセロテープでペタペタ。
あとはホットケーキミックスと、卵と牛乳を混ぜるだけ。
余っていたさつまいもを小さく切っていれました。

電子レンジで2分ぐらいであっちゅうまに膨らんで出来上がってしまったよ。
全部で10分もかかってないかも。



本当は自分がバクバク食べたいけれど、甥っ子や姪っ子がそろそろ帰ってくるので食べずに残しておきます。

明日からGW。
毎日休みの私には関係ないけれど、これから1週間ずっと甥や姪が家にいるかと思うとドッと疲れます…。
2005-04-28 : カテゴリ無し : コメント : 0 :

退院一ヶ月だよ〜

退院して一ヶ月が経過してしまいました。
今日も天気がよく暖かかったので毎日の日課であるお散歩に行きました。
室内にいると長袖でも少し寒く感じるぐらいなのに、外はこんなにも暑いんですね!
かなりバテました。
なんとか退院1ヶ月で30分程度を歩くことが可能になったよ。
退院時の先生からの手紙には「リハビリの変わりに、一日20分の散歩が出来るといいですね」と書いてありましたが、20分を歩けるようになったのは1週間ぐらい前からかな?
この2、3日は30分を目指して時計をにらみっこしながら歩いています。

手術を経験したほかの人の話だと早い人は、術後2ヶ月ぐらいで普通の生活を始めて、仕事にも復帰して…という話を聞いていただけに、なぜに自分はまだ30分しか歩けないんだ!?と思っていたら次のような記事をみました。

2005-04-27 : 病気 : コメント : 4 :

警察に出頭

…したわけではありません。
免許の更新に行ってまいりました。
結局、美容院には行かずにまずは免許がないとどこにもいけないのでこっちを先に済ませることにしました。
しかし、私は違反があるのだよぉぉ。
一体、いつの時のかと思ったら5年も前の赤信号無視でした。
ちょっと納得のいかない状況だったんだけど。
あまりにもむかついて違反キップを窓から捨ててやった記憶があります(笑)
風にゆられて私の違反キップはどこぞへと流れていきました。
ちゃんと、金は払ったよ。



ちなみに、上は免許書更新をした証拠のハンコです。
今回は免許運転所までいけなくて近くの警察署で更新手続きをしたので、また別の日に1時間の講習を受けないと新しい免許書は頂けません。
しょうがねーけど、めんどくさい。

友達から明日からバリ旅行に行くというメールを貰いました。
羨ましいーー!!
今までは全く病気を気にせずに旅行も行ってきたけれど、これからは海外はちょっと怖いなぁと思い始めました。
今までまーーったく怖くもなかったし、無茶な旅行もしてきたけどね。
でも、情報を得てしまうと何かあった時に対処できないよなっていう怖さがあります。
たぶん世間のOLさんはもっと行っていると思いますが、それでもある程度は(数えたら9回でした)海外にも行ってきたし、そろそろ国内にチェンジしようかなって思ってます。
国内旅行って意外と行かないもんなのだよね。
九州や東北、沖縄もまだ行ったことないのでぜひ行きたい。

2005-04-26 : 生活 : コメント : 0 :

医療番組をみて思ったこと。

昨日、再放送だと思うんですが高度先端医療を扱った番組をやっていました。
ちょうどずっとお世話になっていたF大での手術をやっていたので思わずみてしまいました。
医療の進歩にすごいなぁと思いながら、今までは興味本位もあって見ていたものがいざ自分の身に降りかかってくると見方が変わりますね。
こういう医療をこの病院ではやっているんだっていうのが分かれば選択の幅も広がるし、病院の中の様子も分かるのでみていて参考になることもあります。


実は私はちょっと違う角度からもみてました。
私も入院したことのあるF大ですが、相変らず建物が古い…。
壁も剥げてたり、ICUもちょっと古臭い感じもしたし。
県内でも有数だし医療事故も聞いたことないし悪い病院ではないけれど、あの古さはどうにかならんものかな。
ICUもカーテンで仕切られていたし。
なるほど、みんながICUが嫌だというのはああいう環境だからかな?と思いました。

私が今回手術を受けた病院は、ICUは完全個室でかなり広かったです。
隣の病室の音もほとんど聞こえなかったです。
ICUにいる時って、自分で着替えれないから清浄の時は素っ裸!なんてこともあるし、いくら寝たきりでもプライバシーは欲しいよなって私なら思ってしまう。
カーテンひとつで隣に人がいて、しかも隣の人の機器がピッピピッピと音が鳴っているのが聞こえるのは嫌だよ。

あと、食事も見ていてそれぞれ病院によって違うなぁって思った。
F大では、温かい料理も冷たい料理もひとつの膳に入っていたけれど、T病院では真ん中に仕切りがあって、ちゃんと二つが分かれていたしもちろんそれぞれに蓋もしてありました。
名前と今日の料理のメニューが紙で書いてあるものも付いて来るので、付け忘れがないかちゃんと分かったし。

最近は液晶テレビだったり、ネットが出来る環境になっていたりする病院もあるみたいで、それはなかったから羨ましいな。
あと、図書館がある病院もあって漫画や本をリストの中から選べば病室まで届けてくれるそうです。
これも欲しいぞ!

女性専用病棟。
これはT病院にもありました。
でも、軽度の人しか入れないって聞いたけれど。
心臓病のような人は心臓センターじゃないと何かあった時に対処できないからだそうです。

T病院では、部屋の前に昔のように患者の名前は書いてありませんでした。
昨日のテレビを見ていたら、書いてある所が結構あったようですが…
プライバシーの関係だそうですが、変わりに動植物の絵が書いてある電光掲示板があります。
それで自分の部屋を覚えます(もちろん部屋番号もありますが)
その電光掲示板のある場所を触れば、ちゃんとどこが誰だけ分かるようになっているので医師や看護婦はそれを見てますが。
そのため、お見舞いの人はナースステーションを通さないと部屋が分からないんですよね。


高度最先端医療も大事だし、医者の技術や看護体制もすごく大事。
でも、長く治療を受けなくならなくなった時には環境も大事だと思うのよね。
建物だけがすごく綺麗で、肝心の医療が追いついていない病院では困るけれど、いろんな病院が紹介されるのを見て、医療の面だけでなく、ついついそういう所も目がいってしまったのでした。
2005-04-25 : 病院 : コメント : 0 :

行きたかったライブ&入院日記終わります!!

昨年の12月に一気に体調を崩していらい行きたかったライブが総崩れ。
一体感が大好きな私にとってはライブは大事なのです。
ただ、体力的にはかなりきつくなってきたけれどね。
2時間や3時間、たちっぱなしっていうのもあるし、この私のカラダが10年近くのライブ人生をよく支えたよなぁと思い起こしても不思議だもん。
周りの支えがあったおかげなんだけれどね。
基本的に音楽の趣味が小学校からの幼馴染と合っているのでほとんど一緒に行ってます。
さりげなく気を使って電車の席を探してくれたり、ペースに合わしてくれるので彼女と一緒のライブは気兼ねなく行けます。

年末のカウントダウンライブに行けず、3月の大ちゃんのライブに行けず、そんでもって、昨日と今日は名古屋で「TM tribute LIVE」です。
地元だけどライブハウスだし、ちょっとライブに行くには早すぎるかなと思い行けなかったんだけれど、もう二度とないようなアーティスト達の共演なのですごく行きたかったんだけれどね〜。
しかし、ICUに入っていた時に追加公演のお知らせの手紙が来ていてもちろん読むのすらしんどかったから、そのままにしてしまって友達に追加公演の事が言えなかったのが非常に申し訳なかった。
夏には大本命のライブがあるので、こっちは参戦予定。
それまでに体力を付けないと!

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3月28日(月)

術後20日 退院当日



最後の食事である朝食を味わう。

食欲があまりなかったので、朝食だけは洋食メニューでお願いしていたので朝はパンである。

牛乳も飲みづらかったので(嫌いじゃない)、ヤクルトに変えてもらっていた。

そういえばなぜかたまにみんな牛乳がついてくるのに、私だけヤクルトじゃなくて「海苔」がついてきた。

最初は間違えかと思い、看護婦さんに交換をお願いしていたが、途中からこれは「間違いでなく、カロリーの関係でこれであってるんじゃないか!?」という話になってきた。

でも、なんでヤクルトの代わりが海苔!?

結局、栄養士さんには聞けなかったが、今でも謎である。

術後の食欲がない時は全く何も感じなかった薄味の心臓食も、元気になると物足りない。

ご飯には海苔の佃煮、パンにはチーズなどいろいろとアレンジして食べていた。



先生が最後の訪問に来てくれた。

異変を感じたら外来ではなく、救急外来を使うように言われた。

解離した場合の対処法なども聞く。



「いろいろと本当にありがとうございました」



私にはこれしか言えなかった。

本当に先生には「ありがとう」という言葉しか思い浮かばなかった。





9時に母が迎えに来た。

21日間の入院及び手術代の合計金額は「560円」

「更正医療」の恩恵を預かった証拠である。

国の制度を本当にありがたいと思った。



大学卒業後に障害者認定を受けるように医師からの勧めがあったのは手術に数百万必要だという話があったからだ。

卒業後に実は一度手術の話があった記憶がある。

当時、F大ではなく東京で手術と言われたらしい。

母子家庭にはとてもじゃないが払える金額ではない。

どうか、この制度がこれからもずっと続く事をお願いしたい。



退院のアンケートの紙にこれまでの感謝の言葉を書く。

アンケートはすべて「大変良い」に丸を打った。

医師、看護婦ともに良い環境だったからである。



ただし、ひとつだけ苦言を書かせてもらった。

ICUにいた時の香水の件だ。

手術直後の掃除の人の香水に吐いただけでなく、ICUの看護婦にも香水をつけている者がいた。

夜勤交代でその人が入った瞬間に、術後に吐いた時のことを思い出して私は思わず泣いてしまった。

他の看護婦さんに「香水が気持ち悪い」と訴えたら、その看護婦さんがマスクを持って「匂いが気になるようならマスクをして下さい」と言ってきた。

キツイ言い方ではなかったが、私の気持ちがわかってないことに更に哀しさが募り私はその看護婦さんを手でまるでハエを払うように振り回して、早く部屋から出て行ってと訴えた。

言葉が出たわけではない。

息をするのも嫌だったので、本当に手で払いのけたという感じだ。

結局、その看護婦さんは二度と私の部屋には来なかった。

後から見舞いに来た姉は香水の匂いはあまり感じないと言っていたので、たぶん大量につけていたわけではないだろうが、それでも術後の患者はそれぐらい敏感だということだ。



「医師、看護婦、看護士、清掃など患者に関わるすべての人に対して、香水をつけることを制限してください」

ぜひ徹底されることを望みます。



ずっといつも一緒だったKさんが冷蔵庫にあったありったけのヨーグルトとお菓子を持ってきた。

年齢差40歳以上を越えても私達はとても仲の良い友達だった。

前日、私と同じ弁膜症の手術が必要と言われて落ち込んでいた。

80歳を目の前にした手術は勇気がいるけれど、でももっと長生きして欲しい。



ナースステーションで最後の挨拶をしてきた。

月曜日は入退院が多いので忙しそうだったので手短に挨拶をしてきた。

このナースステーションに私のおいた「マルファン症候群ガイドブック」をおいてもらえただけでもとても嬉しい。

医師以上に患者と接する機会のある看護婦さんに、ぜひこの病気を理解して欲しいと思う。



みんなに手を振ってエレベーターを降りた。

外はまだ寒い。

家までの道のりは車で10分ほどだが、心底疲れた。

家に帰って久しぶりにラーメンを食べた。

とても美味しかった。



これからの毎日に不安はある。

でも、人生のリセットだ。

ここからまた頑張ろう。

そう思いながら、半日の疲れを癒すためにベットに横になった。
2005-04-24 : 入院 : コメント : 4 :

車検ちゃん&入院日記はあと1日

初車検ちゃんです。

ちなみに、一度ぶつけたので車は凹んでます。
人が見ると必ずってぐらい「へこんでるよ!?」と親切に教えて頂きますが、いいの、気にしないの〜!!

リサイクル法とかのおかげで車検料も値上がりだしツライツライ。
安いところにお願いしようかと思ったけれど、ディーラーさんが家まで取りに来てくれると言ってくれたので結局今回はディーラーにまかせることにしました。
だって、免許切れてるから運転できないんだもん。

実は前の車はずっとディーラー以外の安いお店とかに頼んできたので初ディーラー車検だよ。
免許更新の前に美容院も行かないといけないし〜。
だって、写真がずっと残るじゃん。
ちなみに優良ドライバーではありません…
いろいろお金が掛かる季節だわ。

傷病手当金がちょびっと返ってきたぐらいでは、こういった事に対しては対処できないね。
本当はこれを機会に情報処理学校とか通って専門的に勉強もしてみたいが、先立つマネーもないし、すぐに働きに行くべきかどうしようか悩みます。

さてさて。
いつから書き始めたんだってぐらいの入院日記も明日で終わりにします。
最初の方は記録として書いていたつもりの日記ですが、なんだか最後は「ただの日記」になってしまいました。
でも、自分で読み直すと「こんな事あったな」と振り返ることができて、書いてよかったです。
毎日最初からちゃんと付けていればもっと具体的な事も書けたかと思いますが、心理的にも身体的にも無理だったかなって気もするし。
いつか自分の記録がこれから手術しようとする人のためになればいいかな。

2005-04-23 : 入院 : コメント : 1 :

免許が切れた!&もうすぐ終わるぞ入院日記

ぼけっーーっとしていたらあっという間に退院して1ヶ月になってしまいそうです。
しかし今日は外が寒そうだからお散歩嫌だなぁ。

来週ぐらいから自分で少し運転をしてみようかと思っていました。
しかし車はこれ以上ないぐらいに汚いです。
窓はとてもじゃないが前が見えそうにない。
これでも車庫に入っているのですが、車庫のシャッターが壊れてしまらなくなってしまったのでどうしても風で砂が舞うんだよね。
とりあえず来週あたりに美容院で髪を整えて、GW明けに免許の更新に…

あれ?
美容院の後に、免許の更新!?
ダメじゃないかーー!
免許切れてるから、自分の運転も出来ないじゃないかよー!

私の誕生日は4月7日なのでこの日に切れてるんだよね。
免許の更新は前後1ヶ月までOKなので、5月10日まで免許の更新OKと葉書に書いてあったので、てっきり免許もこの日まではOKかと思ったけれど、免許証をよく見たら「誕生日まで有効」となっているんだよ。
ありゃ??
もうすでに車に乗れない???


2005-04-22 : 入院 : コメント : 1 :

生理が来た&入院日記ラスト4日!

手術後止まっていた生理がやっと来た。
手術後も一度それらしいのは合ったけれど、本当にそれらしい…って感じで終わってしまって「あれ?」って感じだったから。
来ても嬉しいものではないが、なくても困る。
M先生から生理がきたらワーファリンは3日間だけ止めてもいいと言われたので昨日から飲んでません。
なんだか飲んでないと不安になるなぁ。
[ワーファリン]

弁形成術だったから、ワーファリンはあと1ヶ月もすれば飲まなくてすむようになるけれど、機械弁にするべきか迷っていた時に「ワーファリンを一生飲まないといけないなら、生理止めて欲しい」と先生に言った事があるんだよね。
今、思ってもすごく極端な話なんだけれど、子供が生めなくなるのに生理だけ来てもなんか空しいし哀しいしツライから本当に嫌だと思ったの。
もちろん「不可」と言われちゃったけれど、そういう気持ちも理解して欲しかったんだよね。
ということで、生理痛のため今日は友達に誘われたお出かけはキャンセル。
いい天気なので今日も散歩に励みます。

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3月25日(金)



M先生から今日の検査結果では問題ないので退院の許可が下りた。

明日にでも退院はOKといわれたが、まだ普通の生活への不安もあり、小さい甥姪と一緒に同居しているので、どうしても無理をして付き合ってしまう事もあって、退院は月曜日にしてもらった。



今日もリハビリで階段昇降を行う。

昨日よりは多少落ち着いて上り下りが出来たと思うが、でもかなりしんどい。

一人での階段昇降は禁じられていたがとりあえずOKをもらった。

リハビリは今日で終了とのこと。

ちなみに、4人で1チームを組んでいたので4人の先生にお世話になったわけだ。

今日は誰かな?って思うのも楽しみだった。



最初、N大学病院での手術が決まりかけていたが、もしこちらで手術した場合はたぶん心臓患者のリハビリはないだろうと言われていた。

そのため、術後2.3週間して落ち着いたら救急車等を使って移転させてもらって、2週間ほどリハビリを行ってから退院しようと言われていた。

入院期間も少し長めに考えていた。

M先生のおかげで、地元で手術&治療を受けることが出来て思った以上に早く退院できて良かったと思う。



退院後に眠剤を飲まなくても寝られるようにしなくてはと思い、昨日は薬を飲まずに寝てみたが、全く寝られずに夜中の1時に降参。

結局、眠剤をもらって寝た。

もう頑張るのは疲れたので、今日はさっさと眠剤を飲んだ。
2005-04-21 : 入院 : コメント : 0 :

入院日記もあと4日分!

あと1ヶ月で東京に行けるのだろうか!?
焦るなぁ…。
行くだけならいいんだけれど、実はやりたいことが山盛りあって。
総会に行きたいし、服と靴も書いたいし、友達の家にも泊まりに行きたいし、他の友達とも会いたいし、ちょうど入院している友達の見舞いも行きたいし…
美味しいものも食べに行きたいしさ。
私の地元は「車社会」なんで、歩かなくてもなんとかなったりするんだけれど、東京に行ったら駅から駅、店から店と歩かないと行けないっていうのが不安なんだよね。

私は「東京」が結構好きです。
人がごちゃごちゃした感じや無機質な感じが意外と好きなんだよね。
こっちだと振り向かれるこの身長も特に気にされないし。
東京の友達が何人かいるんだけれどみんなすごく刺激的で枠にはまらない生き方をしてます。
自分にマネできない分、あこがれちゃう。
早く行きたいなぁ。

2005-04-20 : 入院 : コメント : 1 :

話題のホリエモン&入院日記まだまだ続く。

ホリエモン VS フジテレビ!
見ていてなかなか面白かった。
結果どっちが勝ったかなんてどうでもいい。
見ていて思ったのは、どんなに金を積もうと、例えそれが正しい事であっても人の心は容易には動かせないということだ。
堀江社長の言っている事は間違ってはない。
間違っていないのに、それでも人がついてこない。
人の心を動かせない。
自分が正しいのに、人の心がなぜ動かせなかったのかを彼は考えたことがあるのかな?
「正しい」という事を主張するだけでなく、「なぜ正しいのに批判されるのか」という事を考えない限り、ずっと同じ事を繰り返すのだろう。

先に進めていこうとするその精神は素晴らしいが、人を指導する立場にある者は時には後ろを振り返り立ち止まるものを立ち上がらせ、時にはなぜそこに立ち止まっているのかを聞いてあげて理解してあげなければならない。
そして、自分が先に進みたくても、一歩二歩下がって待つことも大事だ。
そこでやっと足並みが揃ってまた前に出ることが出来るのではないだろうか?

なんとなく私が社員ならこの人に付いていきたくないだろうなって思う気がしたので…


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03月23日(水)



手術から2週間が経った。

昨日の心エコーの結果は悪くなかったようだ。



MR(僧帽弁逆流)は「severe」→「trival」になっていた。

エコーではほとんど逆流はみられないそうだ。

ただし、大動脈弁は逆流が「mild」となっていた。

基部も術前よりも拡張している。

先生の話では、僧帽弁形成術による一時的な影響だと思うといっていた。

あまり詳しい話はよく分からないけれど、術後に言われたのは僧帽弁に「人口弁輪」というのを埋め込んであるそうだが(レントゲンで見ました)、僧帽弁と大動脈弁はつながっているので、その影響で大動脈の拡張の進行が防ぐことが出来るかもという話だった。

どれもこれも、今は結局のところ分からない。

この僧帽弁形成術の結果も、その影響で大動脈弁の進行がどうなるかも、分かるには最低でも5年は私はいると思っている。

5年後、どちらも進行が進んでいなければこの手術は大成功だったと言えるだろう。

先生の言う、人工弁輪の話にも確証を得ることができる。



5年。



とにかく、私は自分の中で目標を5年に据えている。

誰に言われたのでもない。

自分の中で5年、今の状態を持つことが出来れば十分だと思っている。



とにもかくにも、「退院」のお許しが出た。

と、勝手に思って私は「退院する」と友達にメールしまくった。

金曜日にまだ検査が残っている事を知らなかったので…



この日、病室にTさんが新しく入ってきた。

年齢的には同じぐらいだと思う。

ペースメーカーの手術を明日に控えていてとても不安がっていた。

「異物」を身体に入れることにものすごい抵抗を感じているらしい。

「手術をして良かったと思えるか不安」だと言っていた。

先生に説得され説得され今日に至ったようだ。



ちょうど、昨日まで同室だったSさんが遊びに来た。

Sさんはペースメーカー歴が数十年のベテラン(?)だ。

彼女の話をして、Sさんに経験者としてアドバイスを話してもらうことにした。

経験者の話にを聞いて、Tさんはやっと勇気を持ったみたいだ。

「自分のため」ではなく、「まだ小さい子供のため」だと思って手術をしたらいいと言われて納得をしていたようだ。



「手術して早く元気になった方が楽だよ!」なんて台詞が簡単に言っている自分にちょっと笑えた。

数週間前までは、手術するぐらいなら死んだ方がいいとまで思っていた人の台詞とは思えない。



この日は友達が見舞いに来てくれて、気付いたら就寝直前まで話をしていた。

見舞い時間はかなりオーバーだ。

仕事を辞めたいという友達の話にアドバイスなんかもしてみたりする。





この間まで「生きていてもしょうがない」と言っていた人間の台詞とは思えない。

人間は、結構タフな生き物らしい。

2005-04-19 : 入院 : コメント : 2 :

初買い物&入院日記はまだ中盤

今日は、近くのお店に買い物に行きました。
まだ運転は怖いのと車が死ぬほど汚くてとても乗れたものじゃないので、母と一緒にお出かけ。
いちよ自分の車のエンジンはかかりましたが…
来月は初車検だよ!リサイクル法だと!?許せん!!
いったい、車検にいくら要るんだよ〜!?
あまりの高さにディーラー車検にしようか民間に任せようか迷い中。
ちなみに免許更新もしてないしぃ。

さて、今日は快気祝いを買いに行ったのですが心底疲れました。
1時間もお店にはいなかったと思うのですが、最後はエレベーターに乗るのも面倒だった。
本当はコピーしたり本屋に寄ったりドラッグストアーにも行きたかったけど、とてもとてもそんな状態ではございません。
午後からは久しぶりに寝ました。
基本的に昼寝は嫌いです。
元気だったときも、今もめったにしないようにしてますが、今日は久しぶりに寝てしまいました。
もうかなり復活した気分でしたが、今日のお出かけで全然ダメな自分を実感。
家の中と、外の世界では差があることがよく分かったよ。

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3月22日(火)



昨日の夜は全然寝られず今日は一日頭痛に悩まされた。

おかげで寝てばかりでリハビリもあまり歩けず。なかなか前に進めずモドカシイ毎日。いっつもどこかが痛い気がするし…



しかし、昨日は最後の「異物?」だったペースメーカーが外れた。

徐脈になった時に使うという説明だったが、もちろん使わずにすんだ。

しかし、これも外す時は非常に痛かった。

痛いというか、カラダの奥を引っ張られるというか…

なにせ、お腹のところか心臓までコードがくっついているのを外から引っ張ってはずすのだ。

最初、このコードはどうやって外すのかとても不思議だったが、こんなに簡単にカラダの中から外すとは思ってもいなかった。

細くて小さいくせに、外される時はカテーテルで中を触られるときみたいに気持ち悪かった。

使う事がなくて本当に良かった。



そんな中、今日は外来の看護婦さんが来てくれた。

私が精神的に落ち込みどうしようもなくなった時に励まし支えてくれた人だ。

外来で看護婦さんの前で大泣きした時のことを思い出し、思わず泣いてしまいました。

手術後、初めて泣いた。

でも今は同じ涙じゃないけど…



あの時、ずっと頷いて私の支離滅裂な言葉を聞いてくれた看護婦さん。

「Marfanの子供が生まれたら可哀相だから子供は産みたくない」という私の言葉に、子供を持つ母親として切ないとそのときだけ一緒に泣いてくれた。

今でも、その気持ちには変わりはない。

その言葉を「後ろ向き」だという人もいるだろう。

自分は生まれたことを後悔はしてないし、病気を持ったことで親に恨みを感じているわけでもない。

ただ、親をMarfanで亡くしている私には、子供が病気で苦しんでいる時に、自分が長生き出来なかった時のことを考えるほうがツライ。

それでもやっぱり子供がほしいという気持ちも捨てられないというのも事実。

複雑なこの想いは一体どこにたどり着くのだろう?



今日は初めてシャワーを浴びた。

思わずよろけてナースコールを押してしまったりとすったもんだもあったけれど、手術後初のシャワーは本当に気持ちが良かった。

しかし、鏡に映る傷跡を見るのはやはり嫌なものだ。

あまりみないことにした。

シャワーを浴びてまたぐったり。



でも綺麗な身体になって気持ちはすっきりした。
2005-04-18 : 入院 : コメント : 0 :

ガンバレ、がんばろう!

人に対してガンバレ!なんていえるような立場でないが、私も頑張るからみんな頑張ろうにゃ!
大小に関わらず手術は嫌なものです。
しかも私たちの場合は「根治手術」つまりこれで完全に治ったというわけではないのが現状なのが辛いんだよね。
たいてい複数の症状を抱えていて、とりあえずまずこっちだけ治してまた落ち着いたらこっちを治して。
私も僧帽弁はとりあえず治したけれど、大動脈弁だっていつかは手術の必要が出るだろうといわれて、さらに解離の危険性も抱えている。
僧帽弁も一生はたぶんもたないから、また再手術の日が来るだろうし…
水晶体亜脱臼もあるしよー。

人生は「長い」という人と「あっという間だ」っていう人がいる。
同時に「今」という時間は「長い人生の中の一瞬のことだ」っていう人もいるし「かけがえのない一日だ」っていう人もいる。
どちらもプラスの意味で使われるのに、全く違う。
自分の「今」はどっちなんだろう?ってふと思ったりすることがある。

3、4日前からまっすぐに寝ると背中が吊ってしまい寝れなくなってしまった。
眠剤を飲んでも痛くて寝れない。
順調だと思っていたのに、こんなことで体調崩すのやだな。
肋骨が痛いので身体をひねるのも怖いし、マッサージも怖いし〜!


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3月21日(月)



今日は午後から大学時代の友達が見舞いに来てくれた。

次週にプチ同窓会があったのだがもちろん出られない。実は学生の時以来、ほとんど連絡を取っていなくて、昨年プチ同窓会を開いてから久しぶりにみんなとの親交が再会していた。

病気のことも、学生時代はほとんど話してない。

私はサークルにどっぷり漬かっていたので、学部の友達とはあまり深刻な話はしたことがなかった。

改めて病気のことを話した。

術前にもらったブレスのお礼も言う。(今でもずっとしてます)





夕方、また一人友達が来た。

彼女は私と同じように「病気」で苦しんでいる人だ。

私と違い彼女は「心の病」で苦しんでいる。

人にはなかなか理解されにくいが、本当にツライ病気だと思う。

私はこれまで自他共に認める、超マイペース超前向きな性格だった。

まさか自分が「鬱」になることなど予想していなかったので、今回のこの手術をで苦しんでいたことを、唯一話すことができ、理解してくれた友達だ。

看護婦だった彼女は知識もあり、病気の話もしやすいため、結構長い時間話をした。

夕食後、以前の職場の友達が二人来た。

仕事を辞めた後、仕事に関係する人に会うのも辛くてメールをくれてもそっけない言葉で返したり何週間も返事しなかたり。

手術の前日にやっと「ずっと友達でいてね」って言えた。

スッピンでパジャマの自分を見られてちょっと恥ずかしい。



病院宛てにMNJの人から手紙が届いていた。

頑張ったねって言って貰えて本当に嬉しかった。

幸せだなって大袈裟だけどこの日は本当に思った。



明日の検査結果とリハビリで退院が決まる。

早く退院してみんなと美味しいものが食べたい。
2005-04-17 : 入院 : コメント : 0 :

なかなか終わらない入院日記

すでに記憶がとぎれつつある入院日記。
もうすでに過去の事になりつつあります。

昨日は天気が良かったので、初めて20分歩きました。
午前中は調子が良いけれど、午後はやはり疲れて10分歩くので精一杯。

夕飯のみ毎日作っているので、午後からはいつもネットでレシピ検索をして献立を考え、少しずつ材料を切り始めてっていうのをやってます。
一度にやると疲れちゃうから、とりあえず切っておいて休憩して、しばらくしたら下茹で出来るものだけしてまた休憩して、最後に仕上げって感じですね。
ネットを使うとレシピが簡単に取り出せるのですごい便利だよ。

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入院日記

3月20日(日)



今日は、姉夫婦と甥っ子2人が見舞いに来てくれた。

5人でお菓子やジュースを飲んで談笑。

この頃には、だいぶ食欲が出てきていた。

「ラーメンと焼きそば、焼き肉が食べたい!」と騒いでみた。



義兄のお店のHPと、姉のパンレシピのHP作りを入院直前に頼まれてなんとか急ピッチで作ってきたものの、姉は早くその先を作って欲しいみたいで気になっているようだった。

姉にシャンプーをお願いする。

シャワーの許可が昨日から出ていたが、まだひとりでお風呂に入って髪の毛を洗うだけの余力と自信がなかった。



思い出すのは、高校生の時に気胸で入院した時のこと。

あの時も思いもよらず長く入院することになってしまい、姉にシャンプーをしてもらった記憶があります。



洗髪後、リハビリの先生が来る。

私の要望で、リハビリは午後にしてもらっていた。

午前中は血圧が低いからか、貧血の影響なのかよく分からないけれど、体調が悪く頭痛や気持ちが悪くなることが多かったからだ。

今日のリハビリの先生は、私が入院する病院に勤めるもう一人の姉夫婦達と同期の先生だった。

休み休みながらも500m完歩。

「明日は一気に歩くよ。若いから!」という言葉になんだか歩けるような気になる。



二日前にリハビリ計画書のためのカウンセリングを受けた

本人の希望は何ですかと問われ「治ったという実感がもてるぐらい、動けるようになりたい」と答えた。

その気持ちは今も変わらない。

とにかく「手術してよかった!」っていう実感がどこかに欲しいと思っている。

今やっと、術前よりも少し状態はいいかなという感じである。

でも最終目標は、入退院を始める前の状態。

健康な人と同じなんて目指さないから、せめてそこまでは戻りたい。



M先生に初めて退院のことを聞いてみた。



私「来週には退院できます?」

M先生「来週には絶対出来るよ」

私「早いんですね!」

2人「……………??」

M先生「来週っていうのは、日曜日からが今週ってことだよね??」



勘違いしてました。

一週間は、月曜日からではなく日曜日からなのだったことを。

とにもかくにも、火曜日に心エコーを撮って問題がなければ退院も近いという話でした。



明日は、友達がお見舞いにくるというメールをもらった。

明日が楽しみだ。
2005-04-16 : 入院 : コメント : 0 :

障害者認定&入院日記中盤戦!

市からタクシー助成券申請ハガキが来てました。
私の住んでいる市では、障害者には12000円分のタクシー助成券が出ます。
私は自家用車を持っているので去年は一度もタクシーを使わなかったけれど、とりあえず貰えるものはなんでも貰っておかねば!

私は障害者3級なのですが、母の話では小学生ぐらいから医師からそういう話は出ていたみたいです。でも、「障害者」というのが私の将来に影響するのではないかという事で申請はしてこなかったようです。
そういった理由から大学卒業後に申請しました。
一番のデメリットは就職ですが、でも障害者認定されていなくても健康診断で病気だと分かれば一緒だし、それよりもメリットの方が大きかったかな。
ライブ好きだったので、新幹線に乗って遠出することが多かったから割引きを大いに利用したし、高速もよく使ったし。
動物園や水族館、映画に美術館と割引きになるものも多いし。
万博も半額だから何回か行きたいんだよね。

とにもかくにもタクシー助成券はありがたく頂いておきます。


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3月18日



あっというまに手術から10日も経った。

傷の痛みはあまりない。

昨日はリハビリで80m完歩。

しかし予定ではもっと早くたくさん歩けるはずだったのに、意外と進まずモドカシイ。

今日は100m歩くことが出来た。

悪い所が治った事を早く実感したいけど、気持ちと身体はなかなか一緒にはなってくれない。

この日は夕方から調子が悪く頭痛も酷かった。

いつもの眠剤を飲むがなぜか眠れず。







3月19日



今日はリハビリで300m完歩!

とにかく体力をつけるためにはも、貧血を治すためにも食事が必要だ。

しかし、お腹が空かない。

これはもう動くしかないと一人リハビリをこの日から始めた。

まだ病棟以外の許可が下りてなかったので、ただもう病室の前の廊下を歩くだけだ。

しかし、これがちょっと恥ずかしい。

看護婦さんや先生、お掃除の人などみんなが見ていく。

声をかけられてしゃべりつつ、他の病室もちらっと見たりして。

しかしどこも高齢の患者ばかりで、どの病室も静かだった。



今日から、同室の少々おしゃべりな患者さんが外泊をしている。

おかげでとても快適だ。

以前の職場で一緒に働いていた人が、隣のベットの78歳のKさんのお孫さんの旦那さんだった。

実はそのとき、肩が痛くてもう一人のひとにシップを貼ってもらっていた。

「たまらんよ、この痛さ!」とかなんか年よりクサイ言葉を吐きまくっていて、カーテンを開けたら知っている顔が立っていてびっくりした。

かなり恥ずかしい。

Kさんは、70ccの水分制限が掛かっていていつも「1滴でも余分に水が欲しいよ」といつも笑わせていた。

私はKさんが大好きで入院中は本当に楽しませてもらった。
2005-04-15 : 入院 : コメント : 0 :

切ない気持ち

同じ病気を持つ友達からメールで逆流が増えてしんどいけど仕事を休みたくないって言葉に切なくなってきました。
頑張って、頑張って、一体どこまで頑張ったら先が見えるのかな?
どこが始まりでどこが終わりなんだろう?

仕事を休むのは長い人生のたった少しの間のことだよって言う人もいる。
命には変えられないっていう人もいる。
でも、そういうレベルの問題じゃないんだよね。
たった一瞬であっても、それでも本人にとっては大切な一瞬なの。
時には生きていく事よりも大事だって感じるものだってあるの。

今は、こうやって手術をして気持ちも落ち着いたからわかることも、その時には自分の中で消化できなくて、納得できなくて、諦めきれない気持ちもいっぱいある。
特に、弁の手術は女性にとては命を得ることは出来ても失うものも多い。
簡単には手術して元気になればいいなんて決められないよ。

自分が仕事を辞める時に決断するのも辛かったけれど、納得できない最後になってしまったことが本当に辛かった。
職場で信頼を得て、1月からは新しい人の指導も任されていて。
でも仕事に対して自分が前向きな気持ちだったのに反して、身体はちっともついていかなかった。
12月の入院前には一日席にいるだけでもすごくしんどかった。
入院して退院後はまたきっと元のように仕事が出来るんだって自分で信じていた。
でも、たった1日働いただけで疲れてしまって、次の日からは半日で帰ってしまったり、一日出てまた一日休んだり…
自分がまさか12月の年末の休みを最後に仕事に行けなくなるなんて思ってもいなかった。
引継ぎも挨拶もろくに出来ずに退社したことが本当に悔しかった。
一生懸命得たものがこんなにあっという間に奪われていくなんて…
だから、病気を憎んだし、なんで私だけってすごく苦しかった。
仕事辞めた後、心が空っぽになちゃって辛くて辛くて誰にも仕事を辞めたことを言えなかった。
世の中から自分だけ置き去りにされていくような気がして。

今だって家にいるだけの自分がとても無意味な存在のような気がして時々ふと切なくなる。
働くってことは社会と繋がっているってことのひとつなのだと思う。
学校だって、子育てだって同じだと思う。
どこかに社会との接点があって、自分を必要としている人を感じることが出来ればそれでいいのだと思う。

私は大事な友達をなくしたくないから、だから「早く手術して元気になって!」って自分勝手に思っちゃうけれど、すごくすごく難しい問題だよなぁって思います。
2005-04-14 : 病気 : コメント : 2 :

手術8日後

この日記もやっと60件目です。
家にいるとパソコンやってるか、食べてるから、料理作ってるかしかないので普段のメリハリがないのだよね。
パソコンに関しては一日中やっても飽きない自信はあるけれど、目にも身体にも悪いので制限しながらやっております。
私がこのパソコンという物体に出会ったのは大学卒業後です。
大学の時代にもコンピュータ入門みたいなのがあったのですが、まだDOSの時代。
黒い画面に向かってちんぷんかんぷんの用語を打つのがつまんないのと、補助の院生のお兄さんたちが暗かったこと(笑)しか覚えてない。
二度とこんな物体触るものかと思ったよ。

しかし、当時過ぎだったミュージシャンがコンピュータが好きでよくその話をしていたことから音楽をコンピュータで出来るんだ!って興味を持ち始めました。
EOSのイベントで見たパソコンで作り出される音楽は感動したね!!
家に帰ってすぐに親にパソコンを買ってくれって言ったけれど当時はものすごく高くてとても無理だったけれど。
あるきっかけからパソコンの会社にバイトに行き始め、気付けばインストラクターになっていて、すっかりコイツの魅力にはまっていくのであります。
またその話は入院日記が落ち着いたら書きたいです。



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3月17日

手術8日後



重度の患者さんが入ってくるので部屋を譲って欲しいと婦長さんが来た。

もちろん承諾した。

自分で歩いてトイレにも行っていたし、大部屋にきっと移動だねって家族とも話していたところだ。



昼食後、4人部屋に移動した。

窓際で良かった。

私以外は、50代、60代、70代とみな高齢だ。

入院していた病院は小規模だったので、循環器は内科も外科も一緒である。

外科は私だけで、二人は心不全で、一人はペースメーカーの電池交換の人だった。

目の前の患者から声をかけられる。

実は、この後しばらくこの人の話の長いことに苦労させられる。

悪い人ではなかったけれど、とにかくよく喋る人だった。

手術してまだ8日の私にとっては人と長い時間話すのは苦痛だった。

会っていきなり30分以上も身の上話を聞かされて疲れてしまった。



その後も、同室の患者さんに対して、ペースメーカの交換後に痛みと頭痛で寝てるのにずっと話し掛けたり、個室から出てきたばかりの酸素マスクもまだつけているような患者さんに大しても同じような事をしていた。

その患者さんは、調子が悪くなり大騒ぎになって1時間もしないうちに個室に戻っていかれた。

先生に「症状の悪い患者さんに話し掛けないように」と怒られていたが、なぜそれがわからないのか私にも理解できなかった。



ちなみにその患者さんはすぐに退院されていったので、その後の入院生活はとてもとても快適で同室の患者さんたちとも仲良く楽しい入院生活を送れた。



この日、はじめて友達に携帯からメールをした。

心理的にも身体的にもメールをする気持ちになれなかったのだが、大部屋に移れたことで一つの区切りが自分の中に出来たようだ。



個室から大部屋に移ったことで、「病人」から「普通の人」に徐々に戻っている実感が湧いてきた。

そんな一日だった。
2005-04-13 : 入院 : コメント : 5 :

手術して1週間

昨日から、不整脈がボチボチと出てきてちょっと不安。

2、3年前ぐらいから不整脈は朝起きた瞬間から、夜眠りにつくまで普通に出まくっていたので途中からは気にならなくなってました。

それでも、気にならない程度の不整脈と、しんどい不整脈があって最後のほうがかなりきつかったけれど。

仕事を辞めて一日中家にいるようになってから不整脈はなくなって、術後もほとんどなかっただけに、久しぶりに感じる不整脈は気になります。








3月16日

手術7日後



今日は、念願の点滴が抜けた。

首をつるような感じと微妙な痛み。

寝返りするたびに気になって嫌で仕方なかった。

昔の点滴と違って、今は点滴をコントロールする機械もついていて動くたびに重たいし。

点滴が外れて嬉しさのあまり、初めて個室の部屋を歩いた。

荷物を整理したり、鏡の前で髪をとかしたり。

昨日からお手洗いも自分で歩いて行けるようになった。

最初の2回は看護婦さんと一緒だったけれど。

個室の部屋からお手洗いは目の前だが、それでも歩くのはかなりキツイ。

いつも「行くぞ!」と気合を入れて歩いていた。



食事は相変わらず2、3割程度しか食べれない。

手術前はちょっと足りない?と思えたぐらいの量が「多すぎるよ!」と思うようになった。こんなに量があっただろうか?



この日は、リハビリで50mを歩いた。

順調に回復中。



初めて、自分の傷を見てしまった。

見たのはお腹に近いほうのちょこっとだけれど思っていたよりは綺麗だった。

ホッとしたような悲しいような気持ちだった。
2005-04-12 : 入院 : コメント : 0 :

手術6日後

退院して2週間です。

身体は退院直後よりもだいぶ軽くなった気がします。

そうなるとじっとできない私の性格。

しかし、まだ運転も出来ないし少し動くとすぐ疲れちゃうし、心に対して身体がついていかない悔しさや哀しさを感じます。

天気がいいと身体にはいいんだけれど、反対に寂しくなってしまう。

ああ、こんな天気のいい日に家でひとりでいるの哀しいなっとか、友達はみんな遊びに行っているんだろうなっとか・・

よくみんな「人と比べても仕方ない」って簡単に言うけれどそんな簡単なことではないよ。









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3月15日

手術6日後



昨日、洗髪の許可が下りたので、姉に頼んで洗面所で洗ってもらう約束をした。

しかしこの日は肩がとても痛く、それは次第に頭に移っていった。

今まで以上にすごい頭痛に痛み止めを出してもらう。

少しも効かなかった。

そのうちに、吐き気が強くなる。

吐き気はだいぶ前からあったが今日は特に酷かった。

あまりの苦しさに、ベットから身体を半分落とすような形になってします。

ちょうど掃除の人が入ってきて、その様子を見て看護婦と先生を呼んでくれた。

吐き気はどうやら鉄剤の点滴の副作用のようだ。

頭痛は血圧が70台に下がっていたのでそのせいではないかと言われる。

鉄剤の点滴はこの日で中止になった。

食事に100%頼ることになる。

今日抜けるはずだった首にはめられた点滴は、明日まで続けることになった。

点滴が外れることをとても楽しみにしていたのですごくショック。



頭痛はしばらくしたら収まってきた。

どうしても洗髪がしたくて少し無理をして姉に洗髪をお願いした。

久しぶりのシャンプーでちっとも泡が立たないらしい。

自分も姿勢を保つのは大変だ。

髪も多いので結構時間はかかってしまったが、疲労感よりもさっぱり感の方が強かった。



夕方、初めてのリハビリが始まる。

リハビリの先生からこれからのリハビリに関しての説明を受ける。

50m、100mと増やしていき、最後は500m+階段昇降が出来たら退院らしい。

立ち上がることから初め、心電図や血圧の状態を見ながら歩き始める。

今日の目標は50mだ。

25mを歩いたところで身体が重くなった。

脈拍が130を超えたため、そこでストップがかかる。

車椅子が用意され部屋に戻った。



早く治りたい一心から、今日の目標が達成できなくてショックを感じる。

貧血が治ってないので仕方ないだろうと言われるが、その問題の貧血も鉄剤の点滴が中止になったのでこの先ちゃんと回復するか不安になった。



あまり眠れないと先生に言うと、マイスリーに眠剤を変えてくれた。

それでも眠れないならまた別のに変えてくれるらしい。



この日は初めて長い時間眠ることができた。

2005-04-11 : 入院 : コメント : 0 :

手術5日後

前日のぽかぽか日和のおかげで散歩が楽しい。

しかし今日からは下り坂で散歩が止まってしまいそうだ。

数日前から夕飯を作り出すようになった。料理は基本的に嫌いじゃないが、あまり頼られても困る。夕方の4時ぐらいから少しずつ作り出し、出来上がったことには息が上がってるよ。

先生は、逆流がひどい時期が2、3年続いていたのでたぶん元の状態に戻れるには4,5ヶ月必要だといっていた。

その頃には夏だな・・

そういえば、昨日で手術して1ヶ月だよ!








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3月14日

手術5日後



朝の10時過ぎに一般病棟から迎えがくるといわれる。

尿管を5日ぶりに抜いてもらい、身体も清浄してもらった。

ICUにいる時の一番の楽しみは清浄だった。

身体を動かすのは痛いししんどいけれど、でも終わった後の爽快感がたまらない。

その事を看護婦さんに言ったら「痛いしツライから患者さんは嫌だって思っているかと思った」と言っていた。



昨日までと違ったお腹の動きを感じ、車椅子に乗せてもらいトイレに向かった。

昨日の二の舞になるのが怖かったけれど、昨日の歩行練習のおかげか体調は良かった。

ほんの少しだけれど便が出てなんだか嬉しい。



病室に戻ると、一般病棟からベットが来ていて。

ICUからのお別れだ。

車椅子で移動かと思ったらベットだったのでちょっと驚いた。

ICUの看護婦さんに別れを告げてその場を出た。

途中で心電図室に寄るため、エレベーターで下りる。

心電図室まではすぐなのに、ベットの動きが早いのとエレベータの乗り降り等で気分が悪くなる。

最初は目を開けて看護婦さんと話をしていたのに、途中から辛くなって目が開けれなくなった。

一般病棟の個室に着いた時には、気持ちが悪くなりそのまま眠ってしまった。

おかげで、ICUにいた時よりも体調が悪い。



水分量が足りないといわれる。

心不全の時は水分制限されていたので、あまり飲まないほうがいいとずっと思っていたら、逆に一日1500cc飲まないと点滴が抜けないと言われた。

点滴が重くて嫌だったので、がんばって飲もうと努力したけれど1000ccも飲めなかった。



夕方、義兄と姪がお見舞いにきた。

声も出すのもしんどいと思っていたのに、それを忘れてしまう。

初めはいつもと違う私の姿におびえていたみたいだけれど、途中からはご機嫌になって遊んでいた。



入院前から飲んでいたレンドルミンを飲むが眠れず。
2005-04-10 : 入院 : コメント : 0 :

手術4日後

すっかり止まってる入院日記。

今日もいい天気なので午後からは散歩に出かけたいと思ってます。

昨日のおでかけで疲れるかと思ったら逆に体調がよくなったような気がします。家にずっといるせいか、声が出なくなっていたのも友達と話をしたおかげか、出るようにもなったし。

ただ、逆流が強くなった状態が2、3年は続いていたと思うので前のような状態に戻れるには4、5ヶ月ぐらい必要かもといわれました。

まだまだ長い道のりだ・・・








3月13日

手術4日後



この日、なんとなくお腹が動いている感じがした。

食事をはじめて何日か経つし、なによりも便秘になるのが怖い。

なにせ力が出ないので、どうしても便秘になりたくなかった。

昨日の夜は、足をマッサージしたり、ベットよりも下に足があると循環もよくなると先生に言われて、何度か寝たままで足をしたにおろしてみたり、動かしてみたりと「準備体操」みたいなものを繰り返した。

かなり昨日、立てたことに自信があったのだ。

そこで、朝食の前に車椅子に乗ってトイレに連れていってもらうことになった。

立つだけの昨日と違って、足を動かし車椅子に乗るのは想像以上に大変だった。

車椅子に乗った時点で、「トイレに行くなんて言うんじゃなかった」と自分で後悔したほどだ。

重い点滴をいくつもぶら下げてICU用のトイレに行く。

便器に座った時点で、実はもうギリギリだったが、やはり便秘になりたくないという気持ちもあって少しの間、がんばってみることにする。

看護婦さんは一度ナースステーションに戻っていった。

とにかく身体を支えるのが重くて仕方がない。ずっと今までベットに身体を支えていたが、便器に座ると背もたれがないことに気付いた。

とにかくもたれたい。

仕方ないので、逆に両足に両肘を立ててそこに顎をのせて、頭を支えた。

しかしその状態も長くは続かない。

ナースコールを押してベットに戻してもらった。

結局、その日の朝食は食べられる状態になくお昼までずっと横になっていた。

食べなければいけないのに・・・という焦りに自分でトイレに行くなんて言い出したことを後悔する。



昼食後、翌日にICUを出ることが決まった。

一般病棟に戻れば自分でトイレに行かなければならなくなるし、ICUと違ってなんでも看護婦さんがやってくれるわけではない。

歩行練習が出来そうならばチャレンジする?という看護婦さんの問いかけにうなづいた。

朝の失敗もあってかなり怖かったけれど、でも寝ていたらちっとも良くはならない。

夕方、ベットの周りを歩く練習をした。

ベットサイドに捕まりながら一歩ずつ歩いた。

朝とは違ってカラダは思ったよりも軽い。

看護婦さんからもしっかりとした足取りなので問題ないと言われた。

結局、自分のベットの回りを2周ほど歩いた。

夕飯は動いたおかげか今までで一番食べることができた。



先生から、ヘモグロビンが一気に上昇したと言われる。

通常は3日ぐらいでかかる量が、1日で一気に上がったそうだ。

これで、安心して明日からは一般病棟だ。

でも私の気持ちはとても不安だった。

ひとつは術前の入院期間が短くて一般病棟の様子が想像できないことや、自分でまだ起き上がることも歩くこともできないのに大丈夫なのかということや、とにかくICUの守られている生活とは違った世界にいかなければいけないという不安が大きかった。



ICU最後の夜。

もちろん眠れず。

手術してからここまで熟睡したことはまだない。

2005-04-09 : 入院 : コメント : 0 :

誕生日翌日のハッピー

今日は退院後の初外来。
結果は良好!貧血は解決!良かった、良かった〜。
しかし傷口が少し化膿してしまってそれをチョッキンしてもらうのが痛かった。

私は自分の手術を担当してくれた先生がかなり好きなんだよね。
長年、病院というところに行ってきたけれど一番気持ちがわかってくれて、質問には丁寧に答えてくれるし分かりやすいし、優しいし、それに手術もとても上手いらしい。(私は諸事情で他の先生に執刀してもらったけど…)。
しかし、先生は外科の先生なので手術を終えてしまった私はまた循環器内科に戻らねばならない。
今日で、先生に診てもらうのは最後(涙)
出来たら先生に会わないように(先生に会うときは手術するときだもん)今の状態が続いた方がいいけれどなんか寂しいよー!
病気が良くなって寂しいなんて言っている場合でないけれどさ。
10年ぐらい僧帽弁も大動脈も持って欲しいし、解離もしたくない。
でも、いつかしなくてはならない時がきたら先生にお願いしたいです。

今日は、友達が「お花見」に連れていってくれました。
自分でも30分ぐらいで絶対に疲れて「帰る」って言うだろうと思っていたけれど天気がとってもいいこともあってすごく気持ちが良かったです。
病人には日光浴は大事だね!
他の友達からも、遠くからわざわざバースディープレゼントを渡しに来てくれたりしてすごく嬉しかったよ。
実は、昨日は誕生日なのに家にいる自分がやっぱりちょっと寂しくなってしまっていたので・・・

今日はハッピーハッピーな一日。
でも疲れた分は取り戻せ!って事で今日は早く寝ます。

入院日記は手術3日後で止まってしまったよ(笑)
おーい!いつ終わるんだ!記憶が薄れる!
2005-04-08 : カテゴリ無し : コメント : 0 :

誕生日を迎えて…

今日は、私の誕生日です。
ということで、入院日記は今日はお休み。
私は特に年を取ることに抵抗はないので単純に嬉しいものです。私自身がネットで知り合った人は自分より年上の人が多く、そしてその誰もが私からみて格好いい年の取り方をしているなって思える人ばかりです。

このブログとは別で私はずっとネットで日記をつけています。
1997年の9月に書き始め、現在でも続けています。
このブログはMarfanとして生きている私を中心として、もうひとつは普段の自分を中心として書いてます。

自分の日記で過去の誕生日を振りかえってみました。

・1998年
HPを立ち上げて仲間が増えてきたころです。ネット仲間や訪問者から祝福受けて嬉しかったです。HPのおかげで全国の知らない人からも祝福されちゃうなんて嬉しいもんだね。

・1999年
この頃は、超超アクティブな毎日だったよ。
1年に何度、愛知から東京に行っただろう?しかも日帰りばっか(笑)
習い事もいろいろして、大学の公開講座も受けて。
SMAPファンを暴走していたので、なんだかそんな話ばっかりしか書いてない(^^;)

・2000年
誕生日の日記がないです(-_-;)
たぶんたいした誕生日を送ってなかったのでしょう。仕事辞めたいモードの毎日(結局辞めた)です。
この年は、前年以上にSMAPにアクティブな毎日。
でもHPが予想以上に大きくなってしまい苦労の耐えない日々だったよ・・

・2001年
同じく誕生日の日記がない(-_-;)
別れる別れないで苦しんでいた頃だ(笑)
誕生日なのにどうしても会いたくなくて、一人で家にいた覚えが・・・

・2002年
大学に勤めていたので4月は死ぬほど忙しく、誕生日どころじゃないよって感じだね。
前日は日付変更線が変わってしまったと書いてあるし。
それでも職場の友達から誕生日プレゼントをもらったり、昼休みに誕生日会をしてくれたりと、仲間にすごーーくめぐまれていて忙しいけれど楽しい日々だったな。

・2003年
この日は仕事が休みでとくに出かけてない寂しい誕生日だったようだ。
しかし、この後は怒涛のライブの日々です!某ユニットの復活に4、5月の週末はライブばっかり行っていたよ。

・2004年
去年のこの日、偶然にも申し込みしてあったMNJから入会メールが届いてました。
すごい偶然に何かを感じたよ!
それでもこの時はまだ自分がMarfanだという自覚はそんなになかったかも。普通の人とは同じじゃなかったけれど、それでも十分元気で一生自分は手術なんてしないでいいだろうって心の底では思っていたし。
もしも、この時にMNJに入っていなかったら自分の今はずいぶんと違っていたかもね。


来年のこの日に「去年はこんな誕生日だったな」って振り返りたいね。
振り返れるって事は「生きる」って事であって、振り返ることが出来ることを感謝しないと。
2005-04-07 : カテゴリ無し : コメント : 3 :

手術3日後

昨日、書いた日記は途中で消えてしまった・・・

同じ日記をもう一度書くのが嫌で昨日は日記を書かずに閉じてしまったよ。

ああ、悔しい!!

昨日は陽気がとてもぽかぽかだったので2度散歩に出かけた。それぞれ10分。

しかし、ただ歩いているのってなんだか恥ずかしい。犬でも連れていればそれならいに見えるのだけれどね。

自分は毎日を実感しているのでちっとも体調は回復していないように思えるけれど、1週間前に見た人にとっては回復しているようにみえるのかな?

一日で起きている時間が少しずつ長くなってきたような気もするし。







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3月12日

手術3日後



左手にしていたはずのブレスレットが、右手についている事に初めて気付く。

たぶん、術中に変えたのかな?

「外したくない」という私の要望を聞き入れてくれた病院側に感謝。



腰や肩が傷以上に痛むようになっていた。

頭や鼻の奥、目も痛い。

術前に取ったMRIから蓄膿が再発していることが分かった。

しかし寝たきりでは診療が難しいらしい。

車椅子に乗って歩けるようになったら診察に行こうということになる。

鼻から酸素を吸うたびに頭が痛くなってとても辛かった。

背中には、自動で圧縮するようなマットがあった。

腰や背中が痛くならないようにするための最新機器だと思うが、今はこんなすごいものもあるんだと関心。

それでも長い間、同じ姿勢をしているのはツライものだ。



身体の清浄を終えて、この日は病院着から自分のパジャマに着替えさえてもらった。

尿管はまだ外されていないが、下着もつけてもらう。

「普通の人」に戻っていく感じだ。

この台詞は、私はひとつずつ管が外れたりリハビリで歩けるようになっていくたびに呟いていた台詞だ。



この日はシーツ交換の日だった。

「立てそう?」

という看護婦さんの言葉に頷く。

とにかく一日でも早く自由な身体になりたかったから。

ベットをギリギリまであげた後が問題だった。

身体が重くて自分で首から上を支えることが出来ない。

看護婦さんに手伝ってもらって身体をベットから離した。

ここまでで、もうぐったりである。

足元に、私のスリッパが置いてあった。

たった3日なのになんだかとても懐かしいような不思議な気持ちになる。

足を片一方ずつ下ろして、意を決するように立ち上がった。

左右と前にはもちろん看護婦さんが支えてくれている。

心配されていた眩暈は起こらなかった。

とにかく最初は看護婦さんの首をまるで抱きつくようにものすごい力でしがみ付いていた。

そのうちに、自分の力である程度たっていることが出来るようになってくる。

「すごーい!!」

看護婦さんに誉められてかなり嬉しい。

「先生に見せてあげたいねー!」

私もそう思った。

ちょっと自慢したい気分だったからだ。



残りの数名の看護婦さんがあっという間にシーツ交換をしてくれた。

立っていたのは長い時間ではなかったが大いなるデビューである。



この日は動いたこともあってか、「お腹が空く」という感覚が少し戻ってきた。

「何でもいいから食べたいと思ったときに食べるように」という先生の言葉どおりに、母がゼリー4つ買ってきていた。

ICUの看護婦さんが気を使ってナースステーションの冷蔵庫に入れてくれていたので、ひとつ取り出して自分で食べた。

この日ぐらいから、自分で電動ベットを起して水や食事を自分で食べれるようになっていた。

ゼリーを3、4口だけ食べた。



食事も多少食べれるようになって、結構いい調子だと思っていたらM先生からヘモグロビンが7.3からさらに7.1に低下したと言われる。

自分としてはがんばって食事を始めたのに、食事を始める前よりも減っている事にショック・・

6.9以下になったら、輸血すると言われた。

やはり自己血が必要だったのではと思ったが言葉にはしなかった。



出血は止まっているようなのでドレーンが外されることになった。

ドレーンを外すのは、今までで最強に辛かった。

先生も「これが一番、嫌だっていい人が多いよ」と言ったが、その通りである。

内臓がまるでえぐられるようなそんな感覚だった。

しかし、これで自分の身体についているものは「心電図」「点滴2本」「尿管」「ペースメーカーコード」だけになった。



一気に「普通の人」に近づいていった大きな一日だった。


2005-04-06 : 入院 : コメント : 0 :

手術2日後

今日は、家でカレーを作ってみた。

なんとなく暇になってきたのと、家でただゴロゴロしているだけだととても申し訳なくなってくる。病院にいる時は「病人」なのに、同じ状態で家に帰っただけで「甘えている人」だと思われそうで。

実際は誰も思っていなくても、何かしなくてはという思いがある。

カレーならせいぜい10分もあれば出来ると思い、手っ取り早く材料を切って炒めたけど、途中でしんどくなったので炒めるのはすぐにやめて煮てしまった(笑)

いいの、それでもカレーは出来るから。







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3月11日

術後2日目。

だいぶ、術後の記憶がなくなってきたので思い出すのが大変だ。



この日から食事が始まったと思う。

驚いたことに、おかゆ以外はすべて手術前日に食べていたような普通の心臓食だった。とても食べれそうにない。

しかし、先生から極度の貧血になっていることを教えられた。

術前14だったヘモグロビンが、7.3になっているそうな。

7.5を切ったら輸血する場合も多いらしい。

「輸血したら楽になるけれどどうする?」

といわれたが返事はなんとも言えなかった。

やはり、リスクが気になる。

先生も分かっているようで、「若いから戻るよ」ということで、この日は輸血は見送られた。

ただし、その代わりに食べないとこいつは増えない。



なので、この日からちょっと苦痛なぐらいの食事の時間が始まる。

おかゆと、お味噌汁を交互に看護婦さんの手から食べた。

意外と食べれる。

母が切ってきたキーウィも食べた。

しかし、食後に猛烈にカラダが暑くなる。

この現象はこの後、ICUにいる間はずっと続いた。

たぶん食事をすることによってエネルギーを使っているのだろう。食事の前後にはアイスノンが必ず必要なり、ICUにいる間はほとんどずっと手に握っていた。



この日、首にある点滴のひとつがはずれる。(IVHってやつ??)

点滴を外すのはとてもとても痛かった。しかも、いつものM先生ではなくてすごく不安。こういう時も医師との信頼関係は大事だ。

止血してくれるのだが、それも超痛かった。

でも、首の点滴がひとつはずれてこれでまた、少しカラダが動かしやすくなる。寝返りの時に、点滴がとても重くて邪魔だからだ。

左手首の点滴に付いていた支えるための板も外された。



この日、M先生から一般病棟に移るかを聞かれた。

通常は3日ぐらいで一般病棟に移るので、もうそういう時期だ。

こんなに早く、こんな状態でICUを出るのかととても不安になった。

まだ、一度も起きてもないのに・・・



明日が土日であることもあり、もう少しICUにいても良いよと言ってくれた。

私も母も、ICUにもう少し居たいと話す。

一般病棟には月曜日に移動しようという事になった。

素直に嬉しい。

ICUがいやだという人の話を聞いていたけれど、私は結構ICUは居心地が良かった。看護婦さんや先生がすぐ近くにいるのはとても安心だし、ナースコールをすればすぐに飛んできてくれる。

一般病棟では、多くの患者もいるからこうはいかない。



看護婦さんが私が暇そうに見えたのか、TVを持ってきてくれた。

少しだけ見るが、すぐに疲れて消してもらう。

変わりに、MDウォークマンをバックから出してもらった。



この日の夜、とても怖い夢を見た。

「世界の終わり」の夢だ。



近未来の話のようだった。

世の中は秩序がなくなり、荒れ果ていて、とても怖かった。

しかし、細菌によって侵されて人々は地下にシェルターを作ってそこに住むようになる。

みんなの努力によって少しずつ地下シェルターは人が住めるような環境になっていき、平穏が戻ってきていた。

そこは「無菌」の世界だった。

人々は、菌によって失った手足を戻すために、なぜか「納豆菌」を使っていた。

失った手足の変わりに、なんていうかビヨーンって菌が伸びたような状態で手足があるのよ。

ある意味グロテスク・・・



特に、その手足を培養するセンターはすごく厳密にチェックがあったりして。

あと、食べるものがなかった。

しかし、ある時に「綿」と「塩」が無菌であることが分かって、人々がわれ先にと「綿」に「塩」をつけてむしゃむしゃと美味しそうに食べ始める。

私も食べたけれど、綿菓子みたいで美味しかった。



その平穏も長く続かなくて、悪いことを考えだす奴らも出てきて、「塩」の変わりに「砂糖」をばら撒いてしまう。

それによって、無菌状態の世界は一気に崩壊していき、みなが逃げ出す。



「炎」もばら撒かれて、あっという間に平穏だった世界は炎に巻き込まれていく。

どんどん炎が近づいてくる。

私も丘のようなところを必死で逃げた。

押しつぶされるようにみんな逃げるけれど、あっという間に炎は追いつき、その炎に身体は巻かれていく。

人々が燃えて押しつぶされて・・・

まるで世界の終わりだった。



「私たちの未来は・・・」



私の頭の中でそんな言葉が出てきて、それは私だけじゃなく、炎に包まれて焦げてゆく人がみな口々に同じ台詞を呟いていた。



そこで、夢は覚めた。

2005-04-04 : 入院 : コメント : 0 :

手術翌日

さて、入院日記はやっと手術翌日に到達。完成するのはいつだ!?



今日はぽかぽかと暖かい一日。

ここ2日ばかり家から一歩も出てないかったのですが、どこかに連れて行こうか?という家族の提案は断りました。

まだ車に乗る余裕はなく、たった10分の散歩ですらしんどいし。

今日は初めて大きな眩暈に教われました。自室のある2階から降りたとたんに目の前がグルグルと回りだしびっくり。すぐに横になって5分ほどで眩暈は止まったけれどちょっと怖くなった。

午後からは少し体調も戻ったので、2日ぶりに散歩に。でも途中でしゃがみたくなってしまいちょっと困った。仕方ないので、夕方にも散歩に行こうと思ったけれど、また同じ事になったら困るので庭をとにかくグルグル…。

これならちょっと安心。










3月10日



手術翌日。

ベットを少し起こしてもらう。

お水を飲めそうかと聞かれて口に含むけれど、すぐにむせてしまう。喉がやけるように痛く、苦しかった。もう一口とチャレンジするけれどまた同じ・・

それでも何口か飲むことが出来た。



お水を飲んですぐに、掃除の人が入ってきた。

こんな状態のICUにもお掃除がくるのだと驚いた。

しかし、この掃除の人は香水をつけていた。

手術後すぐのとても敏感な時で、身体は重く息は苦しい。

気分も悪い。

その状態の人間にとって、匂いは敵だ。

とたんに気持ちが悪くなり、空っぽの胃から胃液を吐いた。

痛いし、苦しいし・・・

この時は、まだ人工呼吸器の影響で喉を痛めて声がまともにでなかったし、そのことを看護婦に告げるべきだということも頭に浮かばなかった。

でも、なんて非常識なのだろうとその掃除の人をとても憎んだ。

そして、この「匂い」による事件は、実はもう一度起こる。

それはまたこれからという事で・・・





M先生がやってきて、胃管を抜こうといわれ、鼻から入っていた胃管を抜くことになった。身体の中を管が通り抜ける間隔が気持ち悪い。喉から鼻を通過する感じはなんとも言いがたい苦痛と気持ち悪さだった。

しかし、そのおかげなのかお水を飲むこと出来るようになってきた。。

ひとつは飲むコツが分かったからだ。どうも喉の左側の方は大丈夫みたいで、自分でも意識しながら飲んだ。



9時頃だと思うが、母と真ん中の姉がやってきた。

昨日の夕方、ICUに母と一番上の姉とできたらしいが私にはその記憶はない。でも、いちよ頷いていたという話だった。

手術が思っていたよりもうまく言ったと母が喜んでいた。

昨日の夕方みた私の顔は死人のようだったらしい。

今日は少し顔色があるみたいだ。

姉が私の爪の色がものすごいピンクだと言ったのでみたら、本当にすごいピンクだった。

今はもう普通の白っぽい色だけれど、この時は確かにものすごいピンクだった。

ほとんど会話らしいものはなく、目を開けて多少頷く程度だったと思う。



たぶんこの日から寝返りが始まったと思う。

これも手術前に練習していたので、そのとおりに動いた。まずは柵にしがみつき看護婦さんの声と共に、身体ごと横に向けられる。

その時は、確かに痛い。

でも我慢できないほどではなかった。

すぐに背中から足にかけて補助のための枕が入れられる。

自分の力を使わなくても横に向いていられるが、でもなんとなく怖くて柵にはずっとしがみついたままだった。

しばらくすると、反対に向けられる。

とにかく何度かそれを行った。

肺を守るためだというのも事前に聞いていたので、少しでも早く楽になれるならと寝返りをとにかくがんばって行った。



寝返りのほかに、身体の洗浄や、バストバンド(胸骨を固定するバンド)をはめたり、検温血圧チェックなど、いろいろあるので意外と時間感覚あり、ICUにいる間ずっとそうだったけれど、暇だなって思うことはあまりなかった。



ただ目を閉じて寝てるだけで私の一日は終わる。
2005-04-03 : 入院 : コメント : 0 :

手術当日の夜(記憶をたどって…)

昨日の夜、病院の事務から電話があり先生から「CTとエコーの検査結果をCD化したものが必要か聞いて、必要ならば渡してあげてください」と言われたとの事。

退院時にエコーの検査報告書コピーは下さいとはお願いしてもらったけれど、データのCD化は特に希望したわけではなかったけれど、せっかくなのでもらうことにしました。

これって個人情報保護法の影響なのかな??

他の病院や患者さんも同じようにしているものなのかな??





---



3月9日 夕方



手術は午後2時半ぐらいに終わったと後で聞く。

目が覚めたときが一体何時だったのかあまり記憶がないけれどたぶん夕方の6時過ぎだったような気がする。

とにかくむせるような咳で目が覚めた。

それが人工呼吸器によるものだとは最初は気付かず、とにかくもう苦しくて、ベットサイドの横についている柵にしがみつく。

最初は右にしがみつき、その後は左にしがみつき。

とにかく苦しくて左右に身体を大きく揺らしながら訴えった。



M先生が左側に立っているのが声で分かったけれど、目はしんどくて開けられない。

「自分で呼吸が出来るようになったら人工呼吸器は外れるから」

と、たぶんそんなことを言ったと思う。



手術前に私はこの人工呼吸器が一番気になっていた。

他の人の話では意識が戻ったときにはすでになかったという話だったし、麻酔科の人にもこの点は聞いてみた。心臓手術の麻酔はとても深いので目が覚めるのが夜遅くになる場合が多く、夜は何か起こったら大変だから、その時はもう一度麻酔をかけて朝まで眠らせてしまって外すので、人工呼吸器が入っている記憶がないことが多いと聞いていた。



ところが、私は目覚めたのが早かったのかしっかりと人工呼吸器が入っていて自分でもちょっとびっくり。



しばらくして呼吸が落ち着いたのか、再び眠ってしまったのかしばらくは落ち着いていたと思う。



しかし、すぐにまた苦しさが戻ってくる。

ちょうど自分の周りには看護婦も先生もいなかった。あせって、ベットサイドの右側の柵をこぶしで叩きまくる。誰か気付いて!!というサインのつもりで。

その時はまだナースコールなどという頭はまったくなく、またそれがどこにあるのかも分からなくて、とにかく死に物狂いで叩いた。

たぶんすぐ看護婦がきたと思うけれど私にはとてつもなく長い時間に感じた。



再びM先生より、自分で呼吸するように促される。

「吸って、吐いて。吸って、吐いて」

という声を聞きながら、術前に練習した腹式呼吸を思い出して必死に呼吸をする。

時々、眠ってしまうのか、M先生から何度か呼吸を促された。



「呼吸器を外すからね」

という声を聞いてほっと一安心。

しかし、抜かれるのは猛烈な吐き気と苦しさがついてきた。

一瞬咳き込むが、それすらも痛くて苦しい。

しかし、それは一瞬ですぐに酸素マスクがつけられて、身体はとても楽になった。



その後は、特に大きな痛みも苦しさもなかった。

ただそれでも身体はだるく、もちろん息もしづらい。

それでもさっきまでの苦しさに比べたらとても楽に感じた。



途中に一度、大きな心臓の痛みを感じた。

ビクッと身体が震えるぐらいに。

しんどくて目を開けられないのだが、右側にM先生の声が、左側に他の先生の声が聞こえる。

術後に不整脈が出たという話を聞いたが、たぶんそれを治すためにこの時に何かしたような気がする。



もちろん眠れない。

時々、時計をみる。

あと何時間で夜だ、あと何時間で朝だと自分に言い聞かせるつもりで。

朝までは、想像していたよりも早かった。



この時の気持ちはなんだか今まで起こった出来事も今の自分も他人事のような感覚だった。

長い夢の途中のような、映画やテレビを外から見ている人のような。

そんな不思議な気持ちだった。

2005-04-02 : 入院 : コメント : 4 :

手術当日の朝(記憶をたどって…)

昨日は暖かかったので始めて散歩に出かけました。

10分もないぐらいだったけれど久しぶりに吸うその空気はとても新鮮でした。しかし、昨日から肋骨が痛い。

鎖骨に近い場所が微妙に痛くて、寝返りを打つとズキンと今までと違う痛みがきて怖くて寝返りが打てなくなってしまった。腰が痛くてまっすぐに寝られないのに、寝返りも十分に出来ず満足な睡眠が得られなかったです。





3月9日

手術当日。

朝、普通に目覚める。

看護婦さんが体温と血圧を測りにくる。

その後、またベットでうとうと…。同室の患者さんはほとんど年配でしかも昨日はほとんど病室にいなかったので、話も満足にしていない。

他の人に朝食が配られるのをみておなかがちょっと減った。

7時半、母が到着。思ったより早く着いてしまったようだ。その後、やることもなくボーっとテレビを見る。

8時すぎに先生が挨拶にみえた。

昨日、説明のときに弁形成が無理だった場合に「機械弁」「生体弁」のどちらを選ぶかを聞かれた。「生体弁」と答えた。弁膜症に関するパンフレットを渡され、手術当日、麻酔が効くギリギリまで変更は可能なので、もう一度よく考えるように言われていた。

しかし、この事で散々悩み苦しんだのでもう悩むのは嫌だったので、昨日はこのことについて一切考えるのをやめた。

先生に聞かれるかと思ったけれど、結局そのことについては触れなかった。



8時20分過ぎぐらいに看護婦さんと共にオペ室に呼ばれる。

事前の注射も薬もない。

同じフロアにある歩いて10秒ぐらいのところにあるオペ室のドアの前まで看護婦さんと母と歩いて行った。

オペ室の前には、オペ室の看護婦さんが立って待っていた。

ドアが開けられ、病棟の看護婦さんと別れる。頑張ってねとかそんな言葉をかけられたと思う。母とは特に言葉を交わすことなく、私は振り向きもせずにそのドアをくぐった。



中は意外に広かった。

ナースステーションのような所を通り抜け、いくつもあるオペ室の前をただ歩く。一番奥のオペ室だと言われたので、結構歩いた気がする。

普通に歩いて自分がオペ室に行くのはなんだか変な感じだ。



一番奥のオペ室に着くと、ドラマのようなオペ台があった。オペ室には数名の看護士や麻酔科の人がいて挨拶をされる。

木の階段を2段登ってそのオペ台に自分で寝る。

上着を脱ぎ、心電図をつけられて布をかぶされて・・・

麻酔をする際に、私の左手についていたブレスレットを外していいかと訪ねられた。前日、友達が願掛けで作ってくれて送ってくれたものだ。入院前日から一度も外していない。

「大切なものかな?外さない方がいい?」

といわれたので、頷いた。

「血がついたりしてしまうかもしれないから、もしかしたら外しちゃうかもしれないけれどいいかな?」

といわれたので、もう一度頷いた。

左手に点滴を打つ際には外さずにやってくれた。ちょっと点滴が痛い。

たしか右手にも点滴がついたと思う。

「もうこれで痛いのはないよ」

と言われて、麻酔用のマスクをかがされた。

すぐに眠ってしまった。

2005-04-01 : 入院 : コメント : 0 :
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はるみ

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さまざまな病気を持った人間もそれぞれが自由に明るく、時にはいろいろな事に悩みながらも生きてることを『共有』したいと思っています。

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