スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-------- : スポンサー広告 :

小さな一歩。

長い間、とっても暗くて長い長い道をひとりで歩いていました。

カテーテル検査後に、先生からの電話で手術について決めなければならないことがいっぱいあることを知りました。
弁形成・生体弁・機械弁。それぞれいい所も悪いところもあります。どれを選択するかで私のこの先の一生はすべて決まってしまいます。再手術の可能性、子供がうめなくなること、どちらにしても家族の重荷になること。この先もずっとこのマルファンという病気と闘わないと生きてはいけないこと。
この病気がある限り、私はずっとずっと前に壁がある状態でいきていかねばなりません。
それがわかっていて、それでも手術をして治して生きていく必要が本当にあるのだろうか?ここで死んでしまった方が楽なのではないのだろうか?

言葉ではいい尽くせないと自分の将来に対するたくさんの不安と、自分がどんどん普通の人たちとかけ離れた人生を送らないといけないことと、今までだって、いっぱい泣いていっぱい諦めてきたものがこれまで以上に多くなること、家族の世話にならないと生きていけないこと。
もう定年も過ぎてやっと楽になれるはずの母親にも、生きている限り一生楽をさせてあげれれないというのもとても苦しいです。自分がいなければ、一時的には母も悲しむだろうけれど、たくさんの孫にも囲まれていつかそれも忘れてきっと楽しい人生を送れるだろう。
だったらここで私が死んでしまえばいいのだろうか。

心がパンクしてしまい、睡眠薬と抑うつ剤がないと不安で眠れなくなってしまいました。

そんな私を救ってくれたのは二人の姉と、外科の主治医でした。
仕事で毎日夜も遅いのに、私の主治医の先生達とコンタクトをとっていろいろと話をしてくれていたこと、もう一人の姉からは一生分ちゃんとみてあげるからと重荷だなんて思ったことないからと言われました。
言葉にするととても簡単だけれど、私にとってはとても救われた言葉です。

病院を変えた経緯もあって、私には「病院」という場所にに対して不信感がありました。
いろんなことがあって主治医と再び会うことになったのですが、すでに情緒不安だった私は待合室でもずっと不安で震えるしかなくて、たまたま通りかかった看護婦さんに声をかけられて、そこで号泣してしまいました。
看護婦さんはいっぱい話を聞いてくれました。先生の受診が始まるまでいっぱい泣いてもいいよって言ってくれました。
主治医の先生に会っても私はもう何を言ったらいいのか、自分が何を迷っているのか、何が不安なのか。
もうそいうのすべて分からなくなっていました。
かなり支離滅裂だったと思うのですが、先生はちゃんと聞いてくれました。

「全部考えてあがるから。もう自分で悩んだり考えたりしなくていいよ」

先生がそう言ってくれたとき、私はやっと救われたのです。
私はずっとその言葉を待っていたと思うのです。
もうひとりでは自分の人生を決めれなかったのです。

こうやって言葉で書くととても薄っぺらい感じですが、こんないい先生に出会えたことは私の人生にとって一番ラッキーだったのではないかと思います。

やっと小さな一歩を踏めました。
とても小さな一歩です。
まだ何も決まったわけではなく何も始まっていません。
それでも、この一歩がなければ前には進めない、大事な一歩です。
大事にしないといけない一歩です。
スポンサーサイト
2005-02-20 : 病気 : コメント : 0 :
コメントの投稿
非公開コメント

« next  ホーム  prev »

プロフィール

はるみ

Author:はるみ
さまざまな病気を持った人間もそれぞれが自由に明るく、時にはいろいろな事に悩みながらも生きてることを『共有』したいと思っています。

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

月別アーカイブ

訪問者数

検索フォーム

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。